本日はお忙しい中、お越しいただいて、誠にありがとうございます。こうして、みなさんとお話できる機会をいただいて、本当に光栄です。本日は、わたしにも、そしてみなさんにも、双方にとって興味深くなるようなお話にしていければ、と期待しています。
わたしの経験や知識を、これからみなさんと共有するわけですが、逆にみなさんが知っていて、わたしがまだ知らない事も、たくさんあるはずです。ですから、今日はお互いに学び合える機会になれば、というのがわたしの願いです。

まず、わたし自身の自己紹介を少ししたいと思います。わたしは、サラ・ローズンバウムと申します。アメリカの東海岸にある、フィラデルフィアという都市で臨床心理学士をしています。ブリン・マー大学を心理学専攻で卒業し、その後、ニューヨークにあるコロンビア大学の博士課程を修了しました。成人や思春期の子供たちのセラピストとして働いて、約20年になります。この20年の間に、米国のあらゆる環境下ーたとえば、病院や、クリニックやグループ診断、個人セラピーなどでー働いてまいりました。
本日は、あずささんに薦められて、学校または学校生活についていくことが困難なアメリカの若者たちについてお話をしたいと思いました。
今から、アメリカの若者たちが直面している問題の中でも、メジャーなもの、それとそういった問題を抱えている若者たちを助けるために、わたしたちが取り組んでいるいくつかのアプローチを紹介したいと思います。こういったアプローチが、本日お越しになられたみなさん、それと、NPO法人「生きる生きる」に関わっていらっしゃる方々の手助けになれば、と思います。

まず、問題の提示からです。アメリカで、子供たちがなぜ学校の中で問題を抱えたり、またなぜ退学してしまうのか、それにはさまざまな理由があります。ここでは、主な原因を挙げてみます。

ひとつめ。宿題や授業についていけない子たちがいますが、そういった子供は、『障害とは診断されてはいないけれど、勉強の円滑な進行を妨げる「学習困難」(英語ではラーニング・ディフィカルティと言い、ラーニング・ディサビリティ(LD)とは違う症状だと、認識されています。)という症状』であることがあります。
子供たちは、自分に出来ないことがあると、それを恥ずかしく思うことがあります。ですが、わざと悪ぶったり、それを隠すそうとします。
わたしのいとこに男の子の子供がいて、その子供は「学習困難」だと、言われました。特に算数と、理科が苦手なようです。 わたしのいとこは自分の息子を、そういった学習障害のある子供専用の授業を設けている学校へ通わせました。その時に、わたしのいとこは自分の息子を「学習障害」とは言わず前向きにラーニング・ディファレンス、つまり「学習相違」と言っていました。その子供さんは2ヶ月前には、大学を映画学専攻で卒業するまでに成長し、今は脚本家を目指してがんばっています。
わたしのいとこは、セラピストとして働いており、また彼女の母親も学校でカウンセラーをしていました。また、わたしのいとこは、自身が学習困難だった時期もあったため、自分の子供が置かれていた状況をよく理解できたわけです。もし、わたしのいとこが、学習困難の症状の兆しを見つけられえず、また見つけてもその学習困難を一緒に克服する準備が出来てなければ、息子さんはとうに学校を退学し、高校に行くこともなかったでしょう。
経済的余裕があるかないか、というのも、もう一つの見逃せない要因です。お金がなければ、子供がそういう症状でも、ちゃんと一人ひとりの子供に注意を注いでくれる学校へ通わせることは出来ません。そういった場合、普通の学校では、クラスが込みすぎていたり、教師の経験不足、または特別教材の不足などにより、子供たちの症状や問題は無視されるかもしれませんし、もしくは、悪化されるかもしれません。
親の教養、知識も大事です。あまり良い教養を受けれなかった親の場合、自分の子供が窮地に立っていたりしたときに気づけなかったり、気づいてもうまく対処できないからです。

子供たちがなぜ学校の中で問題を抱えたり、またなぜ退学してしまうのか、主な原因の2つ目です。家庭内の問題によりストレスを感じている若い人たちは、学校に居ても苦痛を感じています。両親間での口論、育児放棄、または児童虐待など、トラウマを引き起こす可能性のあるもの全ては、学校での問題を引き起こす原因になります。
大学院に入る前のわたしの仕事場の一つに、障害を持つ幼児や十代の子供を引き受ける養護施設がありました。幼児虐待や育児放棄をした親から隔離された子供たちは、通常まず里親に出されますが、その里親の元でも関係がうまくいかなかった場合に、養護施設に来るのです。そして、この養護施設こそが、そういう子供たちにとってのラスト・チャンスの場となるのです。なぜなら、この養護施設になじめない子供は、州が用意した施設へ送られることになるからです。そして、その州の施設と言うのは押しなべて、あまりいい環境を用意している場所とは言いがたいのです。
その施設に17歳の男の子がいました。今、ここではアンドリュー君と呼ぶことにしますが、彼は少し感情的、また攻撃的になりやすいタイプの子でした。彼の母はすでに亡くなっており、一緒に住んでいた父親には、よく暴力を振るわれていたそうです。食事も十分に与えられず、父親は自分の息子が学校の宿題をちゃんとしているか、学校に行っているかなど、気にしたことはなかったそうです。アンドリュー君は、利口な子でした。また、同時に運動神経の良い子だったので、自分が育った環境下も手伝って、今の自分を取り巻く不幸から脱出する方法は、スポーツの世界で成功することだけだ、と考えていました。彼には、数学や歴史と言った一般の授業を提供してあげるだけでは不十分だったのです。アンドリュー君の精神や感情は周りによってねじ曲げられていたので、どうにかして自分の居場所を見つけさせ、そして、自分の将来にプラスになるような良い結論を自分で導き出す力をつけさせる必要があったのです。
もう少し前の話にしますが、数年前、十代の女の子が私のもとに来たことがあります。ここでは、エンジェルちゃんと呼びます。初めて会ったとき、彼女は15歳で、わたしのところに来るのを毛嫌いしていました。でも来ていたのは、それが養護施設が設けた義務だったからです。エンジェルちゃんは、自分の母親のボーフレンドに性的虐待を受けた事実が分かった3歳のときに、その母親の元を離れました。しかし、複数の里親の下でも虐待を受けていたのです。(アメリカの里親システムというのは飽和状態で、今や里親選定基準も甘いせいか、本当に子供たちのためを思っている大人だけでなく、里親になることで州からもらえる助成金目当ての人たちでさえ、里親に認定されてしまうのです。)
 エンジェルちゃんも、また利口な子でしたが、高校1年になっても自分の生まれた州の名前の正しい綴りを書けませんでした。わたしが彼女にあってすぐ、彼女は妊娠し、出産と同時にわたしとのセラピーをやめました。
 しばらくの間、彼女からの連絡は途絶えましたが、2,3年前、彼女は自分の意思でわたしのもとに戻ってきました。そのとき、彼女は、州が提供する十代後半の子供たち専用のアパートに、自分の子供と住んでいました。驚いたのは、彼女はすでに高校を卒業していて、大学に入学していたことです。それでも、周りの人との健全な信頼、それに人間関係を築くことができない、どうにか自分と子供のためにもっと良い人生設計をしたい、と言って、セラピーを受けたいと言ってきたのです。

子供たちの、学校にまつわるトラブルの主な原因の3つ目です。それは、子供たちの中には、既存している教育システムに、あてはまらない子達もいる、ということです。そうした子供たちは、既存している組織の中での規律や、教育の仕方を苦痛と感じます。しかし、そういった子供でも、類まれな才能を持っていますし、その才能や創造力が他の子より勝っていることもあります。こういった子供たちはきっと、「生きる生きる」のような、一人ひとりの子供に注意をそそぎ、個々の良いところや弱いところをしっかり評価して、その評価にもとづいた活動内容を子供たちが興味を示す形で提供する、そういうプログラムから多くを学ぶことでしょう。

わたしの友人に子供がいて、ここではエディー君と呼びますが、エディー君には幼いころから、非凡な芸術的才能がありました。とても賢くて、想像力に富んでいました。しかし、彼には少し『上の空』な所がありましたし、彼の家族の中には昔、精神障害を患っていた方もいました。ちょっとした社会の決まりごとや仕組みが気に入らないと、彼は反抗して、そっぽを向いたり学校を休んだりしました。彼は学校の授業にはあまり興味を示さず、またそういった教科を学ぶことを苦痛と感じていました。
 わたしの友人は、エディー君を「チャーター・スクール」と呼ばれる特別な高校へ通わせることができました。チャーター・スクールというのは、基礎教科を教えながら、生徒の才能を伸ばすことに重点を置く学校です。エディー君の場合、彼は町でもトップクラスのチャーター・クラスに入学することが出来たのです。そうすることによって、彼は学校を辞めることなく、同時に自分の芸術や学問の面における自信を持つことに成功したのです。

子供たちの、学校にまつわるトラブルの主な原因の4つ目です。アメリカの全人口の10パーセントから20パーセントにあたる人数は、何らかの形の精神障害を患っているという調査が出ています。このパーセンテージが他の国のものとどう違うのかは、正直分かりかねます。と言うのも、多くの国では、そういった精神障害を持つ人たちを診断する能力があまり高くなかったり、またその統計をとっていなかったりするからです。
精神障害は十代のとき、もしくはもっと幼い時期に形成されやすいものです。そういった精神障害の主なものには、うつ病、神経症、躁(そう)うつ病、統合失調症、強迫性障害などがあります。こういった症状は、子供たちが大きくなって、初めて診断されることが多々あります。今言ったような症状を持つ子供たちは、周りが騒がしかったりすると勉強に集中できなかったり、人と話すのが苦手だったり、外出するのを怖がったり、また家を出るにしても必ずたんすの中に入っている服がキチンとたたまれていることを確認しないと外出しないとか、そういう行動をとります。
それでも、まだ社会には精神疾患に対する偏見がありますし、本人たちは自分を恥だと思い込むため、子供たちは自分たちのそういう症状を必死に隠そうとします。またそれと同じように、そういった子供を持つ親も、子供の症状に気づくのが遅かったり、時にはわざと、見てみぬフリをすることがあるのです。自分の子供は他の子供と一緒だ、という思いから、子供の行動の言い訳をしたりするのです。

子供たちの、学校にまつわるトラブルの主な原因の5つ目です。アメリカでは、十代の間での薬物使用問題が、学校や子供たちの振る舞いに悪影響を及ぼしています。
薬物使用者の年齢は年々若年化しています。昔から、薬物問題は都市部の貧困層が温床地帯というのは変わりませんが、近年では郊外や中級層、上級層の家庭にまで広がってきています。現代のアメリカでは、歴史上まれに見るほどに、子供たちは薬物や、お酒やタバコに依存するようになっています。そして、その中毒の根底にあるものが、野ざらしにされたままの精神障害問題なのです。鬱やトラウマを抱えている子供、またADDによる注意欠陥のくせのある子供たちは、不法薬物を使うことによって、そういった症状から逃げ出そうとしたり、自分自身を治療しようと試みるのです。
また、十代の子達は、仲間はずれにされたくないという願望から、自分では悪いことだと認識していることや、実際に楽しくないことでも、やってのけることがあります。周りにいる同年代の子達に認められたい、という願望からです。
ここで念を押しますが、薬物使用習慣と言うものは一度ついてしまうと、身体的にも精神的も、非常に脱却しにくいものです。

さて、これまででアメリカで、子供たちがなぜ学校の中で問題を抱えたり、またなぜ退学してしまうのか、についてのさまざまな理由を挙げてみました。
これから、そういった子供たちを救済するためのアプローチをいくつかご紹介します。今あげた問題はそれぞれが特徴的で、子供への興味をもっと示すことや、安全な環境を築くこと、また子供の創造力や自己表現力を伸ばそうとすることにそれぞれ違った対応を見せます。アメリカには、今、さまざまな危機に直面している、また直面しようとしている若者たちのニーズを解明するためのアプローチが大きく分けて4つあります。

ひとつ目のアプローチです。学校と言うものは、授業に遅れがちだったり、不登校だったり、また集団行動が苦手な子供たちにもっと注意を払うべきだ、という再認識です。その認識の下、スクールカウンセラーは子供の親に会うのです。そして、子供は特別にもうけられた査定や精神テストを受け、カウンセラーと親はその結果を見て、その子の問題の原因が何であるかを探るのです。結果によっては、子供は特別授業への参加を勧められたり、自分と同じような症状を持つ子供たちだけで組まれたクラスに入ったり、またクリニックでの精神科での査定調査ならびに治療を受けることを勧められるかもしれません。時にはこれら全ての療法が試されることもあるでしょう。
 今、述べた療法が取られるのが、理想ですが、実際にはそうはいきません。多くの場合、学校は今述べたことを実行に移すことが出来ないのです。それは、そういった問題を抱えている子供をきちんと診てあげれるプロのカウンセラーを雇えなかったり、特別に設けられた精神査定を受けさせてあげる費用が用意できなかったりするからです。
先ほど申し上げたのと同じように、こういった問題は、財政的に余裕のない都市の学区や、また地方の学区で顕著なのです。

2つ目のアプローチは、もう一度、子供を家庭で育てることに重点を置くことです。この方法は子供の成長過程のいついかなるときでも、きわめて重要です。中でも、子供たちが何かしらの危機に直面しているときには、さらに重要性を増します。個々の家庭が強調してあげられるのは、例えば、子供にもっと注意を払ってあげること、家族の絆を深めるような活動を一緒に行うこと、それと自分の子供が何をしているのか、見守れる事などです。中には、子供をあえて学校に行かせず、家庭内で教育している家庭もありますし、実際にアメリカ内でその数は増加傾向にあります。そして、テクノロジーの進歩が、そういった家庭教育、アメリカでは「ホーム・スクール」と言いますが、ホーム・スクールを通常の学区ならびに州が設置したカリキュラムと同等の教育を施せるような手助けをするわけです。
 親の子供に対する監督の仕方と言うものも、とても重要です。アメリカでは、親が自分のしていることに興味を示してくれない、またそのことを自分がどう感じているかを気にしていない、また逆に、親たちが自分たちを過度に干渉しすぎていたり、自分の人生をコントロールしようとする、と若者が悲鳴を上げています。
 子供たちは、真空パックの中で育てるものではありません。彼らも家族の立派な一員なのです。ですから、子供たちの人生を望ましい方向に向けてあげる手助けを、いかに行えるかが重要なのです。
 これが何を意味するかというと、親たち自身も必要に応じて、変わらなければならないのです。そして、親たちが変わろうとしない限り、子供も望ましい方向に自分を変えていくことができないのです。精神科のお医者さんのところに子供をつれてきて、「ほら、うちの子供を治してよ」と、人まかせにするのは、簡単かもしれません。しかし、受け入れがたくはあるとは思いますが、子供たちが抱えている問題が治らない一因に、親の存在があるのです。ですので、親から変わろうとすることが大事なのです。

3つ目のアプローチです。今、アメリカでは、障害を抱える子供たちや、他者とのコミュニケーションを苦手とする子供たちのためのキャンプやイベントを主催する産業の需要が上がっています。こういったプログラムは、放課後を利用しているものもありますし、学校へ行かなくてもいいように授業時間と同時に催されるものもありますし、近所で催すものであれば、時間帯は無限です。キャンプはテーマもさまざま、組まれるプログラムもさまざま、そして質と効果もさまざまです。経験をふみ、全身全霊で取り組むスタッフを雇い、巧みに組まれたプログラムを採用しているキャンプもあります。しかし、中には、経験のあまりないスタッフが粗野に組まれたプログラムの中で働いているものもありますし、「子供たちのため」という本来の趣旨を忘れたようにみえるものもあるのです。最悪の場合、子供のためを思うがゆえの親をターゲットにしたプログラムもありますし、政府からの助成金目当てのものもあります。
しかし、「生きる生きる」のようなプログラムなら、普通の学校の授業では得ることの難しい力、たとえば芸術を通しての自己表現や、自尊心や人生の目標、目的を多くの子供たちに与えることが出来るでしょう。

最後に、4つ目のアプローチです。それは、メンタル・ヘルス、つまり精神的に健全であるために行う療法です。この療法は大きく分けて2つの型があります、「トーク・セラピー」、つまり話し合いによる療法と、「薬剤による療法」です。
トーク・セラピーはセラピストと患者の一対一もありますし、他の患者も交えたグループによるものもあります。このトーク・セラピーは精神分析医などのメンタル・ヘルスを熟知したプロとの指示のもと、行われることになっています。その場合、指示をするプロは、思春期の子供への対応や治療をきちんと心得ていなければなりません。なぜなら、思春期の子供たちの精神面でのニーズと言うのは、普通の子供や大人たちのそれとはまた違うからです。親や教師の方は、混合されがちですが、セラピーとカウンセリングはまったく別のものなのです。
 薬剤による医療の場合、処方は精神科医からのものでなくてはなりません。彼らは、薬が、どういう風にこの年代の子達の体や脳に作用するかを知っているからです。(ご存知かとは思いますが、精神科医とはメンタル・ヘルスを専門的に扱う医者です。)最近の調査では、鬱を始めとする多くの精神障害には、トーク・セラピーと薬の両方を採用するのが、効果の面でも時間の面でも一番良いとされています。
さて、現在のアメリカにおける、思春期の子供たちの死因の第三位は、自殺です。(ちなみに、一位と二位は交通事故と殺人です。)そして、自殺の原因の根底にあるものは、未診断、または未治療の精神病なのです。さらに精神病の中でも鬱が大きな割合を占めます。鬱は近年、治療をすれば治りやすい病気であるだけに、未診断、未治療、の鬱が自殺の根底にあるというのは、とても悲しいことです。しかし、鬱やその他の精神病を早期に処置しておかずに、その子供が大人になった場合、治療は困難になります。
 ですので、適切なメンタル・ヘルスの治療を的確な時期に施すことで、危機に直面している、また直面しそうになっている若者たちの人生に大きな変化をもたらすことができます。

*(スピーチでは)削除*
アメリカなら、メンタル・ヘルスを熟知したプロが数多く存在しています。働いている環境もさまざまで、クリニック、病院、学校、地域の出張クリニック、また個人として、あるいは数人が集まった集団として活動している人たちもいます。ご存知の方もいるとは思いますが、アメリカの崩壊した医療システムのせいで、アメリカは過大なダメージを受けています。医療が、政府の干渉を受けない利益目的の産業になったしまったことにより、市民一人ひとりにちゃんと医療が行き届かなくなってしまったのです。
中でも、保険会社は精神医療費をカバーしたがらず、また規制がないために治療、薬代などの負担金なども個々に設定してしまっているため、メンタル・ヘルスは他の部門に比べて打撃が大きいのです。
 その結果は、ご覧の通り壊滅的です。地域によって受けられる治療に、大きさ差異があり、またプロに求められる基準、治療の基準もまちまちです。

アメリカが精神病を病んでいる若者へ施しているこういったアプローチですが、若者自身またはその親たちが、そのサービスを受けづらくしているものがあります。それは、彼らが世間の目を気にしている、ということです。しかし、他人の目を気にして、自分の悩みを打ち明けることを恐れる人間は、結局必要以上に長くその悩みを抱え続け、その結果、いい人生を送ることが出来なくなってしまうのです。ですので、わたしはひとによくこう言います。「周りに助けを求めることは、自分の弱さをさらしているのではなく、自分の強さを見せることなのだ」と。なぜなら、自分の傷ついている箇所を見せ、自分の内面を他の人にさらすのは勇気のいることだからです。

今、述べたような子供たちにまつわるすべての問題点を効果的に解決に導くカギ、それは精神査定です。精神査定によって問題点を明確にし、それによってその問題をどうやって克服していくかを検討できるからです。子供たちの個々の問題を無視した解決策を練りだし、実行しても、それは成功しません。

アメリカの若者たちが抱えている問題、それの原因のひとつに社会的圧力があります。その中でも、貧困と、リソースにアクセスできないことが大きな要因を占めています。教養的、経済的にあまり恵まれていない家庭、家族は子供たちが必要とする助けを早い段階で差し伸べてあげることが難しいものです。アメリカへ移民としてきた人たちは、文化と言語の違いに苦しみますし、それが子供の場合、自分を見失わずにいることは、いっそう困難を極めます。
 アメリカの医療システムは荒れに荒れていますので、医療を受けるにあたっても、平等性はかけていますし、今あるサービスも一貫性の欠けたものばかりです。そして、今わたしたちの世界は工業化が進みテクノロジーに頼りすぎている代価として、家庭とか地域のつながりとかを失いつつあります。その証拠に、アメリカの本で扱われる材料には常に家庭崩壊が好んで使われています。そして、経済的圧迫によって、共働きの親が増えたことにより、子供たちは一人で遊ぶことを余儀なくされたり、またはいろいろなアクティビティに半ば無理矢理、行かされているのです。
 食事は家族一緒にとることも少なくなり、大急ぎで食べることを余儀なくされ、家族の絆を深めるための余暇、休暇もしだいに短くなっているように思えます。数多くの調査結果が、家族の絆が弱まっている中で、一人ひとりで過ごす時間の多い家庭に育つ子供は、学校、ひいては人生において問題を抱えやすいということを証明しています。

結論として言わせていただきます。人生という長い船旅の中で迷っている若者、子供は、きっと「生きる生きる」のようなプログラムに参加することによって、心のオアシスを見つけうることでしょう。こういったプログラムでは、子供一人ひとりの個性を評価し、芸術活動によって自分を表現していくことを学べるからです。
 こういったプログラムは助けを必要としている家族とその家族に合ったサービスをリンクしてくれます。恐れや、周りの目が足かせになって、助けを求められずにいる子供、そしてその親は、互いを信じあうこと、そして理解しあうことで、その足かせをはずすことができます。
 悩みを持つ子供たち、若者は「生きる生きる」の講師たちとの人間関係を深めていくことで、学校でうまくやっていくには自分たちにどういった手助けが必要なのか、わかることでしょう。

 ご清聴いただき、まことにありがとうございます。今日こうして、みなさんにお話できたことを光栄に思うとともに、この機会を下さったあずささんに感謝いたします。